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明けてしまった。2017年。
生まれてきて23年間SMAPオタクを続けてきた私にとって、去年は本当に苦しい一年だった。何が真実なのかがわからず、ただ5人の言葉で話してくれるのを待って…信じ続けた。けど、本当の想いを話してくれるようになるにはもっと時間がかかるのかな。
あれだけ長く続いていたスマスマもあっけなく終わってしまい、これから私は月曜の夜をどうやって過ごせばいいのだろうか…。腹の底から笑えて、心の奥から元気になれて、イヤな仕事もとりあえずがんばってみようかな。と思える、そんなたいせつな番組だったのに…
解散撤回署名だって参加した。「世界に一つだけの花」のトリプルミリオン購買運動にも、たった1枚だけど「解散してほしくない」という思いから買ったさ、、
決して去年起こったことを忘れてはいけない。
そして今年も根っからのSMAPオタクとして着いていく気は満々だ。いざというときのために支払うお金もある。(このための社会人だな、と実感する)
突然だが、私的SMAPの時代年表を紹介したい。
私自身が1993年生まれということもあり、実際はSMAPの結成当時・デビュー当時をリアルタイムで体験していないので、私的「SMAPの草創期」というのが1996年のスマスマ放送開始の時期となる。私がはじめてSMAPをSMAPとして認識した頃にはもう、森くんが脱退していたのだ。(なんともったいない、、!)そして鮮明に覚えているのが、両親が買ってきた「夜空ノムコウ」のCD。B面のリンゴジュースという歌もCDデッキで聞いていたなぁ。当時5歳くらいだったけど、いい歌だなぁ~SMAPがこの曲を歌っているんだぁ~って思って。すでにオタクに。スマスマでコントをやっていたりビストロで料理をつくっている人たちが歌も歌っているなんて!何でもできるんだな~と。感じた。幼稚園児にしてSMAPの凄さを知る。
…そして2000年。木村拓哉・結婚のニュースと「らいおんハート」のシングルが自分の中ですっごい結びついている。小1ながらに木村くんの結婚はショックだった…。今後SMAPはどうなるんだろう?ってめっちゃ幼いながらに不安になっていたりしたんだけども、年を重ねるにつれ(まだ小学生だが、)私のSMAP愛は増していくのだ、、
①私的「SMAPの草創期」
1998年 夜空ノムコウ 初のミリオンヒット。
2000年 らいおんハート 2度目のミリオンヒット。
私的「SMAPの成長期」はデビュー10周年の2001年頃。この頃に家族がウラスマのコンサートのビデオを買ってきてくれた影響でSMAPのライブ映像を見るようになる。少しずつ、昔の曲も知り始めて、ひとたびSMAPの曲が流れればすぐに歌えるようになる。っていう優等生スマオタ。映像を見るにつれ、ライブで歌って踊ってコントして、ファンを愛する5人のことがますます好きになった。もう、、ひたすらSMAPに熱中してた。(同年代にスマオタは少ないけれど、)本格的にオタクの火が着き始めたのが2001年頃から。
2002年は私の叔母が初めてのSMAPライブを経験し、次のライブこそは私も!とライブ熱が高まっていた時期だったように思う。(生で見た木村くんは本当に美しくて同じ人間とは思えない。。みたいな感想を延々と聞かされる)それと同時に吾郎ちゃん復帰後の初のライブということもあり、5人でいることの幸せを噛みしめていた時期だった。
そして2003年。THE・全盛期。人生初のSMAPライブ、「MIJ」。。これはたまらん。5人が出てきたときの衝撃といったら、もう忘れられない。鳥肌たちまくり、すごすぎて呆然としていた。この世にSMAPって本当にいるんだなって思ったくらい。もう自分の中では完全にテレビの中にいる人。っていう存在だったから。拝むようにライブを見ていたよ(当時小4)
②私的「SMAPの成長期」
2001年 デビュー10周年を記念してコンサートツアー「pamS(ウラスマ)」
2002年 吾郎ちゃん復帰後、初のコンサートツアー「Drink! Smap! Tour」
115万人の観客を動員し、一度のツアーにおける観客動員数が日本国内最多記録に。
③私的「SMAPの全盛期」
2003年 初のSMAPコンサートを経験。「Live MIJ」
世界に一つだけの花 ダブルミリオンを記録。
第54回NHK紅白歌合戦にて大トリを務める。
2005年 2年ぶりの「SMAPとイッちゃった!SMAP SAMPLE TOUR 2005」
単独アーティストとしては初の国立競技場でのコンサート。
いったん今日のところはここでおしまい。
次は成熟期~前人未到期(成熟の後の名称が思いつかずこうなった。)を書いていこうと思う。